前ワシントン大学医学部児童精神学科講師であった安藤春彦氏の「知能とはなにか」という本の中に次のような言葉があります。
『子どもがその科目をよく理解できるか否かは、学習内容を、自分特有の勉強のやり方に合うように、作り直すことができるかにかかっています。
つまり、意味もわからず丸暗記などしていてはだめで、勉強している内容を自分の言葉でいえるように持っていかなければなりません。
子供の勉強の仕方をみますと、わかっている子どもは各自、問題を自分流に仕立て直して理解していることが観察されます。あまり自分流すぎて間違った理解をしてはこまりますが、教師や親は、子どもの理解の仕方の個性を認めてやることがまず大切です。』
勉強の中には丸暗記を必要とすることも多々あるのですが、ここで話をしたいのは、「学習内容を自分流に仕立て直すことによって高い学力を期待できるのではないか」ということです。では、学習内容を自分流に仕立て直すとはどういうことをさしているのでしょうか。
そのためにはまず、「自分の頭で考えなければならない。」それには、
『自分の頭で考える時間』
『自分の頭で考える環境』
の2つの条件が満たされなければなりません。
しかし、残念ながら講義形式による一斉指導では、他人の頭で考えた内容を、他人の頭のスピードで先へ先へとすすんでしまうので、自分の頭で考える時間を、たっぷりと自分が必要とする分だけ確保できない。
(あるいは既に理解している内容についての解説も聞かなければならないのでそれだけ時間を無駄にしてしまう。)
そのような理由で(時間)の条件が満たされず、さらに自分の頭で深く考えるためには、静かな音のない環境が必要だが、他人が喋り続けているので落ち着いて深く考えることは到底無理である、という理由で(環境)の条件もまた、満たされていません。
自分の頭で考える(時間)がいかに大切であるかということは私たち大志塾の個別指導においても、毎回講師に質問し続け、教えてもらい続けている生徒の7〜8割は決して大きく伸びることが無い、という経験上不思議な鉄則によっても証明されています。
「わからないところがたくさんあるから、たくさん教えてもらわなければならない」
その原因は、下の2つである。
①一人で勉強しているときに、あまり考えず片端から「分からない、分からない」と持って来るから質問が多い。
②たくさん勉強するので、分からないところがたくさんたまる。 の2つでしょう。
①に該当する生徒は、大きく伸びる確率が少ないようです。つまり、すこしでもつまずくとすぐに質問して教えてもらおうとする子どもは、丁寧に時間をかけて教えてもらって「わかった気分」にはなっても、その後もう一度自分の頭で考え、整理するという習慣がないので、結局教えてもらったことを忘れてしまうという傾向にあります
②に該当する生徒は、おおよそ質問の内容も、答えを求めるというよりも、解くためのヒントが欲しいというような質問になっています。結局この生徒たちは、自分の頭で解決したいという態度が質問の仕方にもでてきます。そしてその生徒らの中には、次第に参考書を読み、調べ自分で解決するようになっていきます。結果として、偏差値70前後、またはそれ以上の生徒は質問量がそれほど多くありません。
私たちが「自立学習」という言葉をよく使い、「自立学習個別指導」という言葉を創語したのは、こういう経験によって生まれたものです。
つまり、私たち大志塾の指導理念の根底にあるものは、すべての人間がもっている自分で解決した時の快感というものを常に満たしてやりたいと思っているのです。
入塾して日が浅い生徒に対しては、私たちが辞書を引いて読んでやるということから始めなければならない生徒たちもたくさんいます。しかし、その多くの生徒たちがたとえ講師に習った事項でも、もう一度辞書や参考書で確かめるということをするようになるのです。講師の頭で考えて教えてもらったことをもとに、自分の頭で整理しているのです。これが冒頭で話した「自分流に仕立て直す」ということではないかと思っています。
例えば、三角形の合同で、合同の三角形を見つけることができない生徒には、対応する辺と辺、角と角に色をつけてやるだけにして、まず生徒に戻してやることです。それでもわからなければ、どうして、その辺と辺が、角と角が対応しているのか教えていきます。
このように、段階を追って、考える筋道がはずれないように、解決していく方法を間違わないように指導するということに心掛けます。くれぐれも、解いてやることが仕事であるという根本的な勘違いをせず、答えの出し方を手伝うことが講師の仕事だと考えています。