国立大学医学部合格を勝ち取ったS君のエピソード

来春。5名の医師が誕生します(全員、国立大学医学部に在籍中)あれから5年。
皆、今治市内の同じ小学校の出身です。
今回は、反転攻勢(大逆転)の戦いで、国立大学医学部合格を勝ち取ったS君のエピソードを紹介します。

一つ一つ、丁寧に仕上げて行きました。
彼が、『愛光中学』に入学した頃から、『IPS細胞の山中先生』に憧れて、【京都大学医学部】への進学を希望していました。
そして、誰にも負けない、ハイセンスな見事な英語力を身に付けていました。全てが順調の様に見えました。
高3の秋(10月)まで!全統模試。進研模試。ハイレベル模試(駿台)等。何を取ってみても、【京大医学部】の合格判定は、A! B! A! B! 本当に順調でした。

それは、突然やって来ました。この世で突発する全ての現象に『前兆』があるように、彼の心に、すきま風が吹き始めていた事を、母親は見逃さなかった。
【10月スランプ】現役生がどうしても越えなければならない、通り抜けなければならない試金石!10月スランプ!当たり前の様に続いていた、あの見事な合格可能性が、煉瓦の城壁を、破壊するように、音を立てて崩れていった。
決して800点を割ることがなかったマーク模試。830➡️800➡️760➡️720。時間は急ぎ足で待ってはくれなかった。迎えた『センター試験(現、共通テスト)』740点!(只、英語だけは崩れていなかった197/200)愛光学園から「800点を、切ってしまっては、国立大学医学部は、不可能ですから学部を、変更するか、浪人を、覚悟して再挑戦ですね!」と、しかし、S君も、ご両親も、その年の国立大学医学部への合格を夢を、砕くことはなかった。その執念は、過去10年間、競争率が3倍を越えていない『熊本大学医学部』への出願に踏み切る。
しかし、受験の神様は残酷にもS君家族を、突き放すことになる。その年に限って、『熊本大学医学部の競争率』は、この年に限って9倍を越えた!時間の経過と共に、詳細も分かってきた。出願者の9割が、センター試験で820点以上を獲得していること、750点を割っているのはS君只一人の可能性さえ出てきた。この時点でライバルたちとは、80点の開きがでていた。配点は、センター(4割)2次試験2/25(6割)2次試験の内訳は、
英語200点数学200点理科200点。合格者の2次試験得点率は54%仮に2次試験(英語)で、『満点答案』を、仕上げれば、『逆転合格』が可能となる。2/25(2次試験)まで、4週間。猛然と追い込んだ!敢然と走りきった!
そして運命の2/25⁉️そして、余りにも爽やかな、満面の笑顔で挨拶に来てくれました

『英語、満点の答案を、仕上げました!』と。

そして、熊本大学医学部合格。そして、S君は、来春、医師になります。